本質はどこにあるか

January 8, 2020

大人「おい、何を考えてるんだ!いい加減にしなさい!!」

 

子ども「・・・・、はい、すみませんでした。」

   「・・・でも、これって・・・。」

   

大人「言い訳をするな!そんな事ばかり言っているから成長しないんだ!しっかり反省しなさい」

 

子どもの心の声「・・・いや、話を聞いてくれたっていいじゃないか!これって、俺は関係ないし、なんなら、怒ってる内容も、関係ないことを怒ってないか?まあ、でも何を言っても無駄だから反省してるふりでもしておこう。そうでもしないと、いつまでも怒られそうだしな。」

 

さて、これを読んだあなたはこの子どもの考え方に対して、どのような印象を持たれるでしょうか?

 

これは全然反省していない!考え方が未熟だな。大人が叱って当然だ!

 

こんな考え方って、結構しがちなのではないでしょうか。

 

川平ATRで対象とする選手は高校生のため、教師と生徒、指導者と選手、ATと選手という立場の違いが「教育」現場では生じ、「大人」と「子ども」の関係が作られます。

 

教える人と、教わる人がいたらどこでも教育現場です。

 

親と子、先輩と後輩、上司と部下、スポーツ現場に関わらず、教育現場というのはいたって普通にどこにでもある環境と言えます。

 

そうした時に、立場が上なものが、どうしても見落としがちなことがあります。

 

それは、

 

「勘違い」という間違った認識によって、さも自分がすべて正しいかのように、自分の考えを押し付けてしまうことです。

 

こういった場合、大抵は相手の話を「聞く」ということはしません。たとえ、話を聞いたとしても、偏った情報収集しかせず、自分の考えと逆の内容には気にも止めず、自分の持っているイメージだけで下のものに、何かを伝えようとします。

 

伝えようとしていることは非常に重要で、伝われば子どもにとって、将来に絶対役立つとしても、相手に伝わらなければ、伝えたとしても、それは本当の意味では伝わっていません。

 

なぜなら、自分の話を聞こうともしない相手の話など、重要ではないからです。

 

教育現場では、「相手のために叱る」ということが正義かのように話している大人達の話をよく聞きます。

 

熱心な教育者ほど、熱心に叱ります。

 

それは、本当は素晴らしいことです。叱るにはかなりのエネルギーを使いますし、叱っていて気持ちがいいものではありません。相手に対する愛情がなければ、そんなこと到底できません。

 

なのに、ただ叱っているだけでは、ダメなのです。

 

相手を想っての行動なのだから、自分に非がないというのは、それは随分と傲慢な考えです。

 

なんでもかんでも「相手のために」を言えば良いってことではないという事を、私達大人は真剣に考えていく必要があります。

 

私はATですから、高校スポーツの指導者と選手、両面からの様々な話を聞くことができますが、どちらかに偏った立場ではありません。ATは、指導者と選手の中間的な存在です。指導者よりでもなければ、選手よりでもありません。なので、いつも第三者として客観的に高校現場に携わっています。

 

すると、子ども側の選手達に明らかに非がある問題が生じることもあれば、

おや?これは、選手達の言い分の方が正しそうだぞ?大人側は、事実を把握しているのだろうか?

普段のイメージで発言しているところがあるんじゃないか?

っというような、必ずしも大人が言うことが正しくもない(事実勘違いだったケースあり)こともあります。

 

するとその後、間違いを訂正せず、謝りもせずという対応だと、相手(子ども)の信用を失い、次に何を発しようが、何もその相手には届かななくなります。

 

こんな関係性になっていたとしたら、本当に子どもに非があった時に、大人が真っ当な事を言っても相手は心からは聞いていないのですから、伝わらず、そんな相手を見て、この子は何を言っても聞かない子だ、というレッテルを貼りがちです。実を言うと、僕もそんな考えの人だった時があります。これは本当に反省、当時の子供たちに、詫びなければなりません。本当にすみませんでした。

 

果たして、自分が相手に何か伝えようとする立場にある時、「良い事」を伝えようとする事に必死になってばかりで、相手が自分の思ってたのと違う反応、むしろ苛立つ反応だった時、それは相手のせいだと思っていませんか?

 

何かを教える、叱る、伝える、色々な発信は、結局のところ受信者に届かなければ意味がありません。受信者が受信できる状況でなければ、どんな良いものも受け取ることはできないのです。もっと言うと、その受信力を低下または破綻させてしまっていたのは、発信者側である大人側にあるのかもしれません。

 

何か問題発生した時に、問題への対処は当然必要ですが、その問題の「本質」はどこにあるのかを、よく考えたときに、本当の問題解決へと繋がるのかもしれません。

 

「高校スポーツの安全を守る」の本質を真剣に考え、自分に何ができるのか、そのできることから一つずつ行動をしていこうと思います。

 

 

 

 

 

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