相手を変えようとせずに自分が変わる

January 14, 2020

大人「なんでそんなことするんだ!謝りなさい」

 

子供「嫌だ」

 

大人「言うことを聞きなさい」

 

子供「だって・・」

 

大人「言い訳はいいから、早く謝りなさい。あなたが悪いんだから!」

 

子供「・・・・・・」

 

 

何か子供が悪さをした時に、その子供に対して大人がやってしまいがちな態度。

「教育」という目的のために、上下関係が生じる場であれば起きがちなシチュエーションですね。

そんな教育現場では、

 

 

「ごめんなさい」「すみませんでした」

 

 

という言葉をよく聞きます。

 

そこで、ふと思うことがあります。

 

その言葉は、本当にそう想って放った言葉かどうかということです。

 

言わされた言葉に、はっきり言って何の価値もないですし、相手に謝ってほしい事柄があったとしても、それをその相手が自分で謝りたいと想った言葉なのだとしたら受け入れられますが、誰か他の人に、謝りなさいと促されて、自分では反省などしていないのに謝った言葉だとしたら、むしろ憤りさえ感じると、私ならば思います。

 

「言葉に責任を持つ」ことはとても大切です。

 

言えと言われたから言うのは、自分の言葉ではありません。

 

自分で考えて、自分の意思で言うのであれば、それは自分の言葉です。

 

謝罪するのであれば自分の言葉であることが、教育上必要だとも思います。

 

そこで一つ考えてみたいことがあります。

 

上下関係(教師と生徒、指導者と選手、上司と部下、親と子)において、相手が言うことを聞かないときに、相手の方が悪いのだと決めつけがちではないでしょうか?

 

自分が行っていることがすべて正しいと言わんばかりに、ついつい「上に立つ者」は思いがちです。年が上、経験が上、立場が上、なんらかの上に立つ理由がそこにはあるので、確かに大抵は上の者が正しそうな感じはします。

 

しかし、世の中完璧と言える人間がいるのでしょうか?

いるのだとしたら会ってみたいくらい、そんな人間は存在しないことを、考えれば誰でも知っているはずです。

 

完璧な者などいない、言い換えれば、不完全な者しか世の中にはいないのです。

 

それでも、自分が全て正しいと考えている人がいるのだとしたら、それはただの傲慢に過ぎません。

 

自分の考えをしっかりと持つことは重要です。私が言いたいことは、自分の考えが、本当に正しいのかと、ふと俯瞰する必要があるということです。

 

そんな気持ちで誰かと接すると、何か自分に問題はないのかと考える余裕が生まれ、冷静に「本質」で話し合いができるものです。

 

最近ATRにきている選手に、学校生活で生じた、こんな話を聞きました。

ちなみにその選手は、学校のルールを守らなかったことで怒られたというエピソードでした。

 

教師A「ルールなんだから、きちんと守りなさい!何度注意したらわかるんだ。」

 

選手「いや、でも、先生・・・」

 

教師B「あなたは担任の先生に迷惑たくさんかけてばかり、担任の先生にも謝りなさい!」

 

選手「・・・・、いえ、謝りたくないです。」

 

教師C「あなたは、どうしていつもそうなんだ。まったく。いい加減になさい!」

 

選手「・・・・・。」

 

っと、選手は結局謝らなかったそうです。

 

私は、なぜか気になり質問してみました。

 

私「どうして、そんなたくさんの先生から言われても、頑なに謝らなかったの?」

 

選手「・・小野さん、聞いてくださいよ!実は・・」

 

私「どうしたの?」

 

選手「ルールを守らないといけないことはわかっているんです。けど、僕と同じルールを明らかに破っている人も他にたくさんいて、そっちには全く叱らないんです。先生たちもその事気づいてるんですよ!それを先生に指摘したら、『あの子はいいんだ』って、言うんですよ。他の人は良くて、自分だけ悪いってことが理解できないんです。だから、ルールを守らないから反省しろってのが、腑に落ちないんです。だって、先生達の言ってること無茶苦茶でないですか?」

 

私「そこは確かにおかしいね。でもさ、自分がルールを破っている自覚はあるんでしょ?それについては謝る気持ちは全くないのかな?」

 

選手「いえ、そういうわけじゃ・・・・。ただ、先生も明らかにおかしいことしてるじゃないですか。・・・だから、先生も自分たちのおかしい部分の謝罪して欲しいです。もし、先に先生達がそっちの非を認めてくれたら、違う気持ちになるんですけど・・・」

 

 

教師としては、この選手にルールを守る事の大切さを教育している一方で、自分たちがきちんとルールを守りきれていないということ、これがその選手にとってネックになる反発ポイント。子供は理不尽に敏感です。

 

3歳の私の娘でも、私が理不尽なことを言いようものなら気づきます。ちなみに私はそこでハッと気づかされています。(笑)そんな風に、子供からたくさん気づかされて、学んでようやく親にさせてもらっているんだなと、娘からたくさん勉強させていただいている私。苦笑

 

話はそれましたが、おかしいものはおかしいと言える強さは、素晴らしい自己表現だと思います。

 

一方で、選手としても、相手(教師)が謝らなければ自分は謝る気はない、というのも少し改善の余地がありそうです。

 

これは非常に残念な事ですが、「相手を変えようと思っても絶対に変わりません」。相手を変えようとすればするほど、相手は自分の本位とは真逆な行動を取ってしまうものです。

 

コミュニケーションの中で、対話後に相手が変わることがあるとすれば、それは、

 

『自分が先に変わる』

 

これにつきます。

 

教師とすれば、自分たちの矛盾を認め、誠実に謝罪した上で、ルールを守ることの大切さを説くのであれば、きっと選手は理解するでしょう。本人がそう言っているのですから。

 

選手は、相手が変わるのを待つではなく、まず自分が謝るということを選択し、その後に自分の思いを伝える方が良いかもしれません。そうすれば、教師側も、選手の言い分に聞く耳を持つかもしれません。そして、自分たちの非を謝罪するかもしれません。

 

どちらにせよ、自分が先に変わることが非常に大切な考え方なのです。

・・・・が、私はここで一つ付け加えたい考えがあります。

 

上下関係の生じる両者間で、どちらが先に『自分が変わる』必要があるのかということ。

 

それができる方が『大人』な対応だと思います。

 

つまり、大人が本当に自分が大人だと自覚しているのであれば、まず自分が『大人』の対応をしなければ、真に伝えたいはずの物事を教育することすらできないという事を、一人一人の真の大人が胸に刻まなければいけないのではないでしょうか?

 

この話に出てくる教師の方々を非難したいのではありません。

けれど、もう少し私達大人が、もっと『大人』になるよう心がけたほうが良いなぁと、この選手の話を聞いていてしみじみ感じた次第です。

 

私に置き換えると、高校アスレティックトレーナーの立場で選手へ指導するにあたり、自分がおかしな理不尽を言っていることが時にあるかもしれません。そんな時は、迷わず、

 

「私が間違っていました!ごめんなさい!!」

 

と先に素直に言える人でありたいなと改めて感じました。

 

威厳とか、プライドとか、そういうものを払拭しなければ、子供との真の対話などできないと思います。私はこの考えを大切に、これからの選手達との真剣な対話を楽しんでいこうと思います。

 

 

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